知的欲求と寛容さって関係しているのだろうか

今年の10月から休学をしている。
実質夏休みなどを含めると、それ以上の期間大学生活とは離れてはいるわけなのだが。

それはそれとして、当たり前のようにあった「大学生活」というものが無くなると、思った以上に自由の身である。

毎日電車に乗られて大学に通っていた時間が無くなったとき、自分がまず最初に取った手段が「動き回る」ことであった。

 

* * *

 

とにかく色んな場所に行き、色んな人に会い、色んな考え方に触れた。
自分の考えを他の人に聞いてもらい、どういう反応が返ってくるかが少し気になったというのもある。
でもそれ以上に、無意識のレベルではあるが、いろんな人の価値観を取り込みたかったのかもしれない。

こういうと陳腐な言葉に聞こえてしまうかもしれないが、休学してから「世界は広いのだな」と感じるようになった。
日本国内でしか活動していないくせに生意気な言葉ではあるが。

 

ただ国内だけでも色んな人がいる。
それぞれの持つ背景や思想に触れていくと、強烈な個性をそれぞれから感じざるを得ないのだ。

同じ環境にずっと身を置き続けていると、そこでの常識が自分の常識になっていく。
それが自分にとってどこか気持ち悪い部分がある。

前はそうした気持ち悪さが「違和感」として漠然と感じられていたのだが、いざ色んなコミュニティを行き来しているとそれがよりハッキリと感じられていくのである。
そう考えると、自分が働き方に時間、場所、人間関係の自由を求めるのも、こうした部分が関わっているのだろうか。

 

 

基本的に自分は、だいたいの事柄を許容できる寛容さを持っていると思う。

こうした寛容さは色んな考え方や世界に触れてきたから形成されたのか、はたまたもともとの自分の気質なのかは何とも言えないところではあるが。
ただ、自分が「知らないものを知る」ということに喜びを覚えるタイプであることは間違いないだろう。

こうした自分を満足させるためには「新鮮さに触れる」時間が大事である。そのためにも、そのための余裕を常に持っておきたい。
それが今の自分にとって、これからの働き方を考え、行動していくモチベーションになることは間違いないだろう。

人生面白いなあ。

 

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やまりょう

1996年12月6日生まれ。本名は山口遼大(ヤマグチリョウタ)。 埼玉大学経済学部に所属する大学3年生で、2017年10月~2018年10月まで休学中。 “新しい時代の生き方を考える”をテーマとした個人ブログ「Ad-Libi」を運営し、「好きを仕事にする」ことに対するハードルを下げるための情報を発信。起業家やフリーランスのリアルに迫る取材活動を行う。また、ライターとして外部メディアでの記事執筆も担当している。

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